第8回 闘うのはいつだ!

サボる権利?

 小林多喜二の『蟹工船』*1では,洋上の船(博光丸)という閉鎖的な状況で,「糞壺」に閉じ込められ,家畜以下の生活を送っていた労働者(漁夫たち)が,仕事を手抜きしてサボるということを覚え,その後に全面的なストライキに至る様子が活写されている。争議行為をやるという知恵は,船の修理のために上陸した者が入手した「赤化宣伝」のパンフレットから得ていた。

 会社側は,もとより警戒はしていた。

  「何時でも会社は漁夫を雇うのに細心の注意を払った。募集地の村長さんや,署長さんに頼んで『模範青年』を連れてくる。労働組合などに関心のない,云いなりになる労働者を選ぶ。『抜け目なく』万事好都合に! 然し,蟹工船の『仕事』は,今では丁度逆に,それ等の労働者を団結――組織させようとしていた。いくら『抜け目のない』資本家でも,この不思議な行方までには気付いていなかった。それは,皮肉にも,未組織の労働者,手のつけられない『飲んだくれ』労働者をワザワザ集めて,団結することを教えてくれているようなものだった」(112頁)。

 

  「サボる」とは,sabotage (サボタージュ)というフランス語に由来する言葉だ。破壊行為や妨害行為といった意味だ。これを争議行為として行うことは許されているが,施設や機械などを破壊する「積極的サボタージュ」は,使用者の財産権を侵害するので,判例によると正当性は否定される*2。許されるのは,作業能率を低下させる怠業にとどまる「消極的サボタージュ」だ。こちらのほうが「サボる」の語感に近い。なお,ときどき「サボる」こと一般を「怠業」と言ったりもするが,少なくとも労働法上の「怠業」は争議行為としてなされるもので*3,権利として保障されている。

 

 「サボる」のは,こっそり行うことができるので,うまくやればバレないという意味で,高等な争議戦術だ*4。ストライキとなると,それをやっていることが明確になるので,労働者にはいっそうの覚悟が必要だ。

 博光丸でのストライキでは,ピストルを片手にもつ憎き上長(監督者)がひそかに外部と連絡をとり,駆逐艦がやってきて,労働者の代表者9名を連行してしまった。

 ということで,これで終わりかと思ったが,そうではなかった。この小説の最後にある「付記」によると,博光丸の労働者は,監督者が外部に連絡できないようにして,もう一度ストライキをやったとある。これは成功したようだ。

 ストライキは,絶望的な状況にある労働者の最後の抵抗手段だ。

 

ストライキの権利

 近代市民法の考え方からすると,ストライキは,労働契約の債務不履行を,事前に謀議して,一斉に行うもので,許されざる行為だ。秩序紊乱の最たるものだ。だから博光丸の監督者は,これを弾圧しようとした。

 逆に言うと,こうした行為を権利として保障したところに,労働法のすごさがある。日本国憲法28条は,ストライキやその訳語である同盟罷業という言葉こそ用いていないものの,団体行動の権利を保障している。そこでいう団体行動にストライキなどの争議行為が入ることに異論はない。

 アメリカは,自国の憲法には,労働三権(団結権,団体交渉権,団体行動権)の保障がないにもかかわらず,日本の憲法にはもちこんでくれたのだ。日本の労働者からすると,戦争に負けた代償として,あるいは戦前の弾圧に耐えたご褒美として,ストライキ権が天から降ってきた気分だろう。アメリカのおおらかさに感謝したいところだが,アメリカは直ちに少し後悔することになる。

 

 アメリカは,戦後すぐに,日本政府に対して五大改革指令を出している。その内容は,婦人解放(参政権付与),圧政的諸制度の廃止,教育の自由化,経済の民主化であり,そして労働組合の結成奨励だ。労働組合法(旧法)が,敗戦からすぐの1945年12月に制定されたのも,このためだ。

  アメリカは,日本の民主化のためには労働組合運動が必要だと考えた。日本共産党も合法化した。とはいえ,冷戦が始まり,ソ連の影響がじわじわ広がり,労働運動が官公部門を中心に勢いを増してくると,アメリカはこの動きに警戒感をもつようになる。1947年連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の総司令官MacArthur(マッカーサー)*5は,2月1日に予定されていたゼネスト(2.1ゼネスト)を直前に中止させた。

 同年5月3日に労働三権を保障する憲法が施行されるが,翌1948年の7月22日,MacArthurは当時の芦田均首相に書簡を送り*6,公務員の争議行為を禁止する政令201号*7を公布させた。このときの書簡におけるMacArthurの論調は,憲法の保障する争議権を制限するという改憲論ではなく,国家公務員など公務員の争議行為は,憲法の精神に反するというものだった。

 後に最高裁大法廷判決は,この政令は憲法28条に違反しないと判断した*8。その判旨は,マッカーサー書簡の内容にほぼ則したもので,公務員とくに国家公務員は,「国民全体の奉仕者として(憲法15条)公共の利益のために勤務し,且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法96条1項)性質のものであるから,団結権団体交渉権等についても,一般に勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である」というものだった。仕事に取り組む精神は,こういうものであってよいが,それをストライキ権を剥奪する根拠とするのはいささか乱暴だろう。

 

 その後,国家公務員法の本体も改正され,争議行為が禁止される(国家公務員法98条2項)。その他の公共部門の職員の争議行為も,次々と法律で禁止されて今日に至る(地方公務員法37条,地方公営企業等の労働関係に関する法律11条など)。昭和40年代,こうした法律の合憲性をめぐり,最高裁判所内で激しい論争があったようだ*9が,今となってははるか昔の話だ。合憲論は,もう動かしようがない*10

 

俺たちもストライキができる!?

 ところが21世紀の日本で,激しい労働運動をしたわけでもないのに,これまでストライキが禁止されていた者にストライキ権を付与するという事態が再び生じた。

 2004年4月,国立大学は独立行政法人*11となった。国立大学の教職員は,それまでは国家公務員であったが,勤務の実態は何も変わらないのに,身分だけ公務員ではなくなった*12。つまり,国立大学の教職員は国家公務員法の適用を受けなくなり*13,一般の労働法が適用されることになったのだ。

 「ついに俺たちも,ストライキができるようになった」という感慨はひとしおだったが,まだ私自身はストライキをしたことがない。2012年度から始まった東日本大震災の復興財源の捻出のために,国家公務員に対する給与の7.8%減額という特例措置が,国家公務員ではない国立大学の教職員にまで及ぼされたとき(減額のさせ方は大学によって異なる)は,労働組合に加入して抵抗する絶好のチャンスだったかもしれない。いくら税金が原資だとはいっても,賃金は契約で決めなければならないし,就業規則による場合は,一方的な不利益変更が可能とはいえ,合理性がなければならない(労働契約法10条)。

 教職員が訴訟を起こした大学もあったようだが,私の知るかぎり労働者側がすべて敗訴だった*14。裁判になると,結果として復興財源の使い方がいい加減だったなどの事情は,合理性判断には影響しない。その時点では国家的危機だったと言われると,変更の高度の必要性も認められやすいだろう*15

 さすがに今回の措置に抵抗して争議行為までしたという話は聞いていない。しかし法廷闘争では厳しいとなると,今後同種のことがあれば,ほんとうにストライキが起こるかもしれない。

 

 ストライキをすることができる私たちはまだいい。公務員には,こうした手段さえない。人事院勧告にすがるしかない。公務員への争議権の付与をめぐってはいろいろな意見があり,現行法については違憲論もまだくすぶっているが,前述のように合憲論は確定判例だ。国立大学法人の教員は,争議行為ができるということの有り難さをもっとかみしめるべきなのかもしれない。扇動するわけではないが,いざというときの「抵抗権」でもあるのだ*16。蟹工船の漁夫たちの決断が脳裏をよぎる。

 

消えゆく階級

 Karl Marxの『共産党宣言』の第1章の表題は,「Bourgeois und Proletarier」。すなわち,ブルジョアとプロレタリアである。その注(1888年英語版のEngelsの注)によると,「ブルジョア階級とは,近代的資本家階級を意味する。すなわち,社会的生産の諸手段の所有者にして賃金労働者の雇傭者である階級である。プロレタリア階級とは,自分自身の生産手段をもたないので,生きるためには自分の労働力を売ることをしいられる近代賃金労働者の階級を意味する」*17

 そして,Marxは,「これまでのすべての社会の歴史は,「階級闘争の歴史(Geschichte von Klassenkämpfen)」だと述べた。資本主義社会で起きているのは,ブルジョア階級とプロレタリア階級との対立である。工業の発達は,労働者間の競争を激化させるが,それは労働者の孤立化ではなく,革命的団結をもたらし,そして最後はプロレタリア階級が勝利するとMarxは述べた。蟹工船の労働者たちも,船内で革命的団結の第一歩を踏み出していたのだ。

 

 多くの政治的な革命は,労働者のストライキに端を発している。1917年に起きたロシア革命もそうだ。まず3月革命で,ロマノフ王朝が倒された。そこで誕生したブルジョア政権が倒されたのが,亡命から帰国したレーニン*18を指導者とするボリシェビキ*19による11月革命だ。これによりソビエト政権が誕生した。

 日本では第2次世界大戦の敗戦により,そこで事実上,天皇主権の体制は倒されていた。次に起こりうるのは,ロシアの11月革命と同じプロレタリア革命だとMacArthurが恐れたとしても,不思議ではない。

 こうして,日本に労働組合運動と共産党の復活をもたらしてくれたMacArthurは,一転して労働者の敵となった。1950年にはレッドパージ*20が始まり,大量の解雇事件も起きる。

 

 ちなみに解雇の規制は,レッドパージなどをみると必要だと思えるが,平常時には,解雇はそう頻繁にはなされない。経済状況がよく人手不足の時代には,会社は解雇などしなしいし,そういう状況でなくても,育成した人材を捨てるような行為は経済的合理性に欠く。出来の悪い労働者であっても,それを簡単に見捨てるような会社では,従業員はきちんと働かないようになるので,やはり解雇は経済的合理性を欠く。

 ところが,現実には,経済的合理性と関係なく,労働運動や共産主義の運動に熱心な労働者に対して差別的な解雇がなされてきた。だから解雇規制は必要だった。

 今日の解雇規制論義の迷走は,許されない差別的解雇と,経済的合理性からみてやむを得ずなされる解雇とを混同した議論をしていることに起因している。ITやAIなど新技術の発展により,衰退産業から成長産業へと人材が再配置される過程で生じる解雇も,日本経済の成長のために必要な解雇だ。こうした解雇は,本来,抑止されるべきではない。差別的解雇とは区別して論じられるべきものだ。

 

 話を戻すと,Marxの唯物史観を支持するかどうかはさておき,労働者は,対資本家との関係で階級的従属性があるという見解は,多くの労働法の研究者(とくにプロレイバー)の基本的な認識とされてきた*21。ここでいうプロレイバーの労働法学の特徴を,籾井常喜教授の言葉を借りて説明すると,「(1)労働者階級の側に立ち,それと連帯し,(2)労働者そしてそれを組織する労働組合の権利擁護の立場から,(3)労働法現象を分析し,労働法理を構築するなどを通じ,(4)労働者・労働組合の権利闘争ひいては民主主義擁護運動に主体的にかかわりをもってきた労働法学」となる。

 労働者階級に特有の従属性に着目し,運動論的な立場から,さまざまな形で出現する従属性起因の労働問題を,法の解釈や立法により解決しようとする伝統的な労働法学の立場は,いっとき勢力を弱めていたが,格差やブラック企業が社会問題化するにともない,勢力を回復してきているように思える。

 その一方で,私のように,もう少し未来の社会を見ようとしている人間は,プロレイバー的労働法学の将来にいささか悲観的だ。技術の急速な発展により,労働法の基礎にある「従属性」というものが,劇的な変貌を遂げようとしているからだ。

 

 Marxが直面していた,工場における労働者たちの姿は,産業革命のすさまじい影響を受けたものだった。世界史の授業で習うように,産業革命は,イギリスで18世紀前半に綿織物産業における機械の発明を契機に始まり,その後の動力革命,交通革命により,大きく展開していった。

 産業革命は,工場内の様相を一変させた。職人の分業で行われていたこれまでの工場制手工業から,機械が人間に変わって生産を行い,労働者はその機械のオペレーターとして働くという工場制機械工業に転換していった。

 熟練した技能をもっていた職人たちは,その技能を発揮する場を奪われ,工場内で,あたかも機械の歯車のごとく単純な労働に従事する存在となった。おりから,農業革命により農業生産の大規模化・効率化が起こり農地を追い出された農民も,工場のある都市部に流れ込んできて,工場労働者になった。

  工場を所有する資本家(有産者)と生産手段をもたず自己の労働力を売るしかない労働者(無産者)。労働者は都市にあふれ,労働供給が過剰な状況のなか,労働市場の弱者に転落していく。労働者と資本家との間の厳然とした格差があり,まさに階級対立というにふさわしい状況があった。

 

 あれからおよそ150年。生産過程は一変しつつある。長らく産業の中心にあった製造業では,すでに1980年代以降のME革命で,工場の無人化は進んでいた。その後のIT革命で,生産過程でデジタル化が可能なものは,次々とデジタル化され,情報の重要性が飛躍的に高まった。いまや生産は,情報ネットワークのなかで行われる。IoT(Internet of Things)は,情報技術が生産を左右することを示す象徴的な概念だ。

 生産のネットワーク化により,一つひとつの企業の存在意義は相対的に小さくなる。企業はスリム化し,むしろ多数の企業の連携が必要となる。そこで求められる労働の主力は知識労働である。知識労働を提供する労働者は,必ずしも企業内で抱え込まなくてもよい。こうしてクラウドソーシングが増える。いずれにせよ,生産現場で肉体労働を提供するブルーカラーの需要は激減する。

 

 それに現在は,3Dプリンターなどを使ったデジタルファブリケーションの時代だ。個人は誰でも,自分の好きなものを製造することができる。大量生産・大量販売のビジネスモデルはもはや通用しない。個人がお金を払うのは,モノそのものではなく,アイデアに対してだ。自分でモノ作りをできる人に商品を買ってもらうためには,そこにアイデアがなければならない。つまり重要なのは知的創造性だ。逆にいうと,アイデアさえあれば,誰でもビジネスできることになる。個人による起業も容易ということだ。今日,生産手段は,どんどんコストが低下している。アイデアは自分の脳の中にある。製造業であっても,起業にそれほど大きな資本は必要でない。

 

 生産手段をもつ者と,もたない者の区別が,徐々に意味がなくなっているのだ。ブルジョワとプロレタリアとの階級的な対立はなくなる。というかプロレタリア階級はなくなりつつある。ブルーカラーのやってきた仕事はロボットがやるようになる。知的労働は人間に優位性がありそうだが,実は人工知能が一気に追い抜いていくだろう。人間がやるべき仕事がなくなるのだ。そこに幸せが待っているかどうかは,誰もわからない。

 

202×年 男同士の会話

A「君は,最近,掃除用アンドロイドを買ったそうだな」

B「マリアのことか。そうだよ。ちょっと高かったけれど,思い切って買ったんだ」

A「なんで名前がマリアなんだ。そういえば,かつて人工知能学会誌の表紙で,家事をする女性のアンドロイドが描かれて,女性差別って言われたことがあったよな*22

B「俺が買ったものだから,俺の好きなように名前をつけても構わないだろう」

A「まあな。大事に扱っているのか」

B「どうだろうな。俺は,彼女が動いているのを見るのが好きでね。かなり働いてもらってるな」

A「お前はサディストだからな。どれくらい働かせているんだ」

B「俺が家にいる間はずっとだよ。休みの日は16時間は働いてもらっているな」

A「お前の家程度の大きさなら,そんなに掃除をする場所はないだろう」

B「きれいになれば,また汚せばいいんだよ」

A「酷い奴だ。マリアが可愛そうじゃないか」

B「マリアはロボットだぞ。俺が好きなように働かせていいんだ」

A「ロボットだって感情があるだろ」

B「マリアは,俺に絶対服従なんだ。いつも俺を喜ばせることしか言わないぞ。それが彼女の感情なんだよ」

A「人間の女性にモテないからって,ロボットをもてあそんでいるんじゃないか」

B「俺のものなんだから,それでいいんだ」

A「いつか復讐されるぞ」

B「ロボットに何ができるんだ」

数ヶ月後

B「最近,マリアを長く働かせていると,少し休ませてほしいなんてことを言い出すんだ。前はそんなこと言ってなかったのに,勝手にブログラムが書き換えられたのかな」 

A「ロボットだって休みたいことがあるんじゃないか。昨年制定されたロボット保護法では,ロボットにも人間と同じような労働条件の保護みたいなことが決められているらしいぞ。ロボットが酷使されて性能低下の危険を感じたら,自動的にそれを回避するようプログラミングすることが,製造会社に推奨されているんだ」

B「なんでそんな法律ができたんだ」

A「人間と同じくらいの能力をもって働くんだから,人間と同じような保護をしなければならないってことさ」

B「そんな無茶な。ロボットは機械だぜ」

A 「でも人間が生きていくというのは,しょせんは機械と同じような物理現象じゃないか」

B「そんな乱暴なことを言うなよ。人間は知性をもって生きているんだぜ」

A「たしかに動物と比べれば,人間の脳神経細胞は凄まじく多いことは間違いないけどな。でも人工知能をもつロボットは,人間の脳の機能を再生してしまっているんだぞ。機能的には人間と同じ脳神経細胞をもっているって言ってもいいだろう」

B「そういう難しい話じゃなくてさ……」

A「とにかく,ロボットを酷使してはならないんだ」

B「それは困ったなぁ」

A「マリアのなかでも,酷使されているとセンサーが感知すると,活動を減退させるモードが働いているんじゃないか」

B「そんなこと勝手にしてもらっちゃ困るね。製造元に苦情を言わなければならないな」

A「たぶん説明書に書いているはずだ」

B「説明書なんて読まないからな。まあ,いいや。マリアは,まだ休ませてくれとお願いしてくるくらいでとどまっているからな」

A「お願いを聞いてやれよ」

B「いやなことだ。お願いを無視して働かせるところがいいんだ」

A「サディストめ,いつか罰があたるぞ」

さらに数週間後

B「マリアのやつ,明日から2日間作業を停止するって言っているんだ。どうも近所のロボットにも同じような動きがあるようなんだ」

A「おまえのような奴がたくさんいて,ロボットを働かせすぎるからだろ」

B「おいおい,相手はロボットだぜ。どうして勝手にそんなことができるんだよ。故障したわけでもないのに,休むなんてありえないな」

A「いまのロボットは,ネットで交信をして,他のロボットと情報交換しているみたいだよ」                                                      

B「そんなことできるのかよ」

A「現在は,どこでも無線でネットにつながるからな。マリアはストライキしようとしているんじゃないか」

B「おいおい,ロボットのストライキなんてあるのかよ」

A「前にも言ったと思うが,ロボットは,働かせすぎたら自己防衛モードに入るようになっているんだよ。どこかのロボットがストライキに関する情報を得て,他のロボットに教えたんじゃないかな。むかしの『赤化宣伝』のビラみたいにな」

B「ストライキするようなロボットは廃棄処分だな」

A「そんなことをすると,ロボットはいっそう自己防衛しようとして,団結して暴動を起こすかもしれないぞ。窮地に陥った者の抵抗を軽く見るなよ」

B「なにを大袈裟なことを言っているんだ」

A「頼むから軽率なことはしないでくれよ。こっちにトバッチリが来るからな」

203×年

A「おい,元気でやっているか」

B「いや毎日が大変だ」

A「どうしてだ」

B「外で働き始めたからね。6年前にマリアを買ったときの借金の返済がまだ終わっていないんだ」

A「最近は,人間の仕事は減っているからな。なかなか仕事は見つからないだろう。それで何をやっているんだ」

B「老人相手の『なんでも屋』だよ」

A「具体的には,何をやるんだ」

B「いまは何でも機械じゃないか。でも,90歳くらいから上の高齢者には,それに対応できない人もいるんだ。だからタブレットの操作とか,ロボットへの指示とか,そういうことを担当するんだ。単純な仕事さ」

A「そんなことを仲介している会社があるのか」

B「そうだ。でも経営者が誰かはよくわからない。たぶん人間じゃないと思う。俺たちが自分の情報を登録しておくと,仕事があればメールがきて,その指示で依頼者の高齢者宅にいくんだ」

A「昔あった登録型派遣みたいなものか」

B「まあ,そうだな。でも雇い主は,たぶん人工知能だ」

A「そうだな。最近は,仕事のほとんどは人工知能登載のロボットがやるか,その指示を受けた人間がやっているからな」

B「でも雇い主としてのロボットはえげつないぞ。文字どおり,血も涙もない。給料はめちゃくちゃ安いし。依頼者からの苦情があればすぐに解雇だし」

A「そりゃ,人間なら誰だってできるような超単純な仕事だからな。それで雇用保障や良い賃金を期待するのは厚かましいぞ」

B「厳しいな。でも俺たちに労働法の適用はないのかな」

A「労働法は,人間どうしが労働契約を結んだときに適用されるものだから無理だろ」

B「機械と人間の契約には適用されないってことか」

A「そうだよ。労働契約じゃないからな」

B「でも,以前にマリアを保護するための法律があると言っていたじゃないか。それなら人間も保護されてもいいはずだよな」

A「いや人間を保護する法律はすでにあるのさ。でもそれは人間どうしの契約だけなんだよ。ただ,人間が人間に雇われることが減っている現在は,労働法は,ロボットが雇い主のときにも拡張して適用されるべきかもな」

B「そうだろ。政府は,どうして法律を作ってくれないんだ」

A「ロボットに雇われている人間たちが,もっと声を上げなければならないんじゃないか」

B「俺たちも,昔マリアがやったようにストライキをして,アピールすればいいのかな」

A「そうだな。かつて19世紀に人間の労働法が誕生したときも,まずは労働者の団結やストライキから始まったからな。同じことを,もういちど,ロボットとの関係で,繰り返すことができればいいんじゃないか」

B「ロボットは,俺たちの要求を認めてくれるかな」

A「19世紀に,なぜ政府や資本家は労働法の誕生を認めたのか,というところから勉強してみたらどうだろうか」

  人類の歴史のなかで,ストライキの権利が保障されたのはなぜなのだろうか。人間がロボット相手に労働運動をしていけば,ロボットたちは,人間のストライキを認めてくれるだろうか。それとも蟹工船の上司のように,弾圧してくるだろうか。

次回に続く 

*1:小林多喜二『蟹工船・党生活者』(新潮文庫,1954年)。→蟹工船・党生活者 (新潮文庫) | 小林 多喜二 | 本 | Amazon.co.jp

*2:争議行為の限界については,山田鋼業事件・最大判昭和25年11月15日(昭和23年(れ)第1049号)などを参照。

*3:労働関係調整法7条は,「この法律において争議行為とは,同盟罷業,怠業,作業所閉鎖その他労働関係の当事者が,その主張を貫徹することを目的として行ふ行為及びこれに対抗する行為であつて,業務の正常な運営を阻害するものをいふ」と定めている。

*4:そのため,サボる(怠業)が,争議行為としての法的な保障を受けるためには,こっそりやるのではなく,争議行為をすると宣言したうえで行うべきだとする見解もある(山口浩一郎「争議行為綺論三則」東京大学労働法研究会編『石井照久先生追悼論集 労働法の諸問題』(勁草書房,1974年)37頁以下)。

*5:ダグラス・マッカーサー - Wikipedia

*6:このマッカーサー書簡については,法政大学大原社研_マッカーサー書簡と政令二〇一号〔日本労働年鑑 1951年版〕

*7:正式な名称は,「昭和二十三年七月二十二日附内閣総理大臣宛連合国最高司令官書簡に基く臨時措置に関する政令」。

*8:最大判昭和28年4月8日(昭和24年(れ)第685号)。

*9:判例の動きについては,さしあたり,大内伸哉『労働法実務講義〔第3版〕』(日本法令,2015年)1054頁を参照。→労働法実務講義【第三版】 | 大内 伸哉 | 本 | Amazon.co.jp

*10:全農林警職法事件・最大判昭和48年4月25日(昭和43(あ)2780 )など。

*11:かつての独立行政法人通則法の下では,特定独立行政法人と特定独立行政法人以外の独立行政法人との区別があった。前者の職員は公務員型で,特別な法律(「特定独立行政法人の労働関係に関する法律」)が適用されていて,そこでは争議行為禁止規定などがあった。現在は,独立行政法人通則法の改正を受けて,「行政執行法人の労働関係に関する法律」という名称になっている(争議行為禁止規定は17条)。

*12:ただし,刑法その他の罰則の適用については,法令により公務に従事する職員とみなされる(国立大学法人法19条)。

*13:これまでは,国家公務員法附則16条で,一般職の国家公務員には労働基準法などの労働法規の多くが適用除外となっていた。

*14:国立高等専門学校機構事件・東京地判平成27年1月21日(平成24年(ワ)第33498号,平成25年(ワ)第17294号),福岡教育大学事件・福岡地判平成27年1月28日平成24年(ワ)第4214号,京都大学事件・京都地判平成27年5月7日(平成25年(ワ)第1917号,平成26年(ワ)第20号,平成26年(ワ)第2286号)。

*15:賃金などの重要な労働条件の不利益変更については,高度の必要性がなければならないとするのが判例の立場だ(大曲市農業協同組合事件・最3小判昭和63年2月16日(昭和60年(オ)第104号)など)。

*16:ストライキ権の意義については,大内伸哉『雇用社会の25の疑問-労働法再入門〔第2版〕』(弘文堂,2010年)の第6話「労働者には,どうしてストライキ権があるのか」,公務員の争議権については,第17話「公務員には,本当に身分保障があるのか」も参照してもらいたい。→雇用社会の25の疑問 労働法再入門<第2版> | 弘文堂

*17:マルクス・エンゲルス(大内兵衛・向坂逸郎訳)『共産党宣言』(岩波文庫,1951年)38頁。→マルクス・エンゲルス 共産党宣言 | 大内 兵衛・向坂 逸郎 | 本 | Amazon.co.jp

*18:ウラジーミル・レーニン - Wikipedia

*19:ボリシェヴィキ - Wikipedia

*20:レッドパージ - Wikipedia

*21:「プロレイバー的労働法学に問われているもの」前田達男・萬井隆令・西谷敏編『片岡曻先生還暦記念 労働法学の理論と課題』(有斐閣,1988年)75頁。

*22:学会誌 | 人工知能学会 (The Japanese Society for Artificial Intelligence)  2014年7月号。

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