第2回 家政婦から見た!

安倍首相と平塚雷鳥

 安倍晋三首相が,雇用政策のなかで,とくに力を入れているようにみえるのが,女性の登用である。今回の国会では,先日,「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」(女性活躍推進法)という法律も成立した。

  今日では,男女の共働きはごく普通のことであり,家事も男女分担が当たり前となっている。管理職がどこまで増えるかはともかく,女性が働きやすい社会にする,という流れは変わりそうにない。

  女性が働くということは,もちろん昨日や今日に始まったものではない。たとえば明治や大正の時代にも「職業婦人」という言葉はあった。わざわざ「婦人」となっているところに,外で職業をもって働くことが女性にとってまだポピュラーでなかった時代を示している。当時の女性の職業には,女中,女工,女給などのように,「女」がつくものもあった。今日の視点でみると,これは差別的な言い方ととらえられるかもしれない。実際,女中でさえも,いまでは放送禁止用語のようである。

 しかし,女中は,働く女性にとって重要な職業だった。「元始,女性は太陽であった」という言葉で有名な女性解放運動家の草分け的存在の平塚雷鳥は,いまから約100年前に,「現代婦人の悩み」と題するエッセイの中で,「産業革命は,今日,遂に私たちの家庭から,……必要な助手である女中というものを,工場の方へ奪ってしまいました」と嘆息していた*1

 働く女性の多くが女工になってしまい,女中が減ったというのである。当時は,働く女性を,別の働く女性が支えていた。

  雷鳥の発言は,現代の人から見れば,女性解放運動家にあるまじき女性蔑視的なもののような感じもあるが,当時の家事がいまよりはるかに重いものであったことを理解しておく必要があろう。

女中のいた時代

 100年も遡らなくても,ほんの少し前の世代まで,男性は外で働き,家事は女性という役割分担が普通だった。

 ちなみに,男女平等の先進国のように言われているアメリカでも,事情はそれほど変わらなかった。アメリカでは,たしかに日本の男女雇用機会均等法より20年以上早い1964年に公民権法(Civil Rights Act)が制定され,その第7編(TitleⅦ)に性差別禁止の規定が設けられていた。しかし,この規定の誕生は,男女平等を実現させるためのものではなかったことは,よく知られている事実である。

 当時のアメリカも,男は外,女は家庭という役割分担がはっきりしていた。公民権法は,これにメスをいれるつもりはなく,主たる狙いは人種差別の禁止であった(公民権運動とは,実質的には,黒人の運動である)。ただその成立阻止を狙う保守勢力が,実態に合わない男女差別禁止規定を挿入して,反対論を喚起させ,法律全体を廃案にしようとしたのだった。そのもくろみは失敗に終わり,第7編が誕生することになった。

 話を戻すと,家事には,炊事,洗濯,掃除,裁縫,買物という日常的なものから,子供がいれば育児,老人がいれば介護まである。これを全部こなしていくのは,すさまじい重労働だった。これだけ家事をやれば,とても外で働く余裕など出てこない。女性が仕事をしていこうと思うなら,たとえ独身であっても,家事を支えてくれる人がどうしても必要となる。雷鳥の発言にも,そうした背景的事情があるのだろう。

 幼い頃,母の実家に行ったときのこと思い出す。40年以上前のことである。家事をする祖母(明治生まれ)は大変だった(なぜか母は,里帰りするとお客さんのような感じで,何も祖母を手伝っていなかった)。三度の炊事は,家族の人数が多かったこともあり,みんなのために食事を作るだけで,1日のかなりの時間をとられていた。寒い台所で,米をとぐのも,たいへんそうだった。洗濯は,洗濯板と石鹸である。これもまた冬になると,あかぎれになりながらの作業だった。妹たちのおむつを洗ってくれていた祖母の姿は,いまでも目に焼きついている。掃除は,掃き掃除と拭き掃除が基本だが,家の部屋数は多く,また窓が大きくて埃が入りやすかったため,これまた重労働だった(これだけは子供も手伝えたが)。その合間に針仕事もしていた。

  祖母の家には女中はいなかったが,女中を必要とするような状況だったことを,いまでもリアルに思い出せる。実際,雷鳥の言葉からもわかるように,日本に産業革命の波が押し寄せ,繊維産業等において女工が増えるまでは,女中は女性の職業のなかの代表的なものだった。女性一人ではとてもこなすことができないような家事を支える女中の需要はかなりあり,「昭和戦前期まで,女中はとても身近な存在だった」。働く女性だけでなく,一般家庭であっても,「女中がそろって初めて,家庭が形成される」という意識が,戦前にはあったようだ*2

 戦争(私たちの世代が戦争というと,第二次世界大戦のことである)が始まると,主婦が女中を雇用することなど贅沢であるとされ,女中は激減するが,戦後また女中の仕事は一時復活する。しかし,女中不足は深刻で,徐々に姿を消し,1970年以降はほとんど見られなくなる。

愛情労働

 昭和10年生まれの母の世代になると,祖母のときと比べ,状況が大きく改善していた。すでに炊飯器はあったし,洗濯機もあった。家のサイズは小さくなり部屋も減り,掃除は楽になり,掃除機も普及していた。家事の省力化である。

  幼いころ,母に「早くご飯作って」とか,「ここ汚いから掃除して」とか言うと,「私は女中じゃないのよ」と叱られていた。生意気にも,「女中とどこが違うの」と聞くと,「お父さんから,給料もらってないもの」という答えが返ってきて,なるほどと納得したものだった。

 アンペイドワークと言いたかったのだろう。もしそのとき私にもう少し知恵があったら,次のようなことを自問自答していたかもしれない。

 「それじゃ,女中はどうして仕事になるのか。女中が給料をもらえるのなら,どうしてお母さんは給料をもらえないのか」

 「いや,お母さんは契約を結んでいないから,もらえないんだ。女中は,雇われているから,給料をもらえるんだ」

 女中,いまなら家政婦は,雇用契約で働く労働者である。この仕事は,一段低い労働にみられがちだが,一方で専門的なものと言えそうなところもある。このことは,職業安定法の歴史とちょっと関係している。

 前述のように産業革命の到来は,働く女性の仕事を女中から女工へと徐々にシフトさせていった。こうして女中不足となる。女中というと,当時は住み込みであり,封建的な隷属関係の下に置かれやすいことも,意識の高まってきた女性に敬遠される理由となっていた(雇い主の主人に手籠めにされることもよくあり,大きな問題となっていたようだ)。家のためや自分のために外で働かなければならなかった女性も,他にもっと手軽に稼げる仕事があれば,そちらのほうに流れていった。

 経済的な必要性がない女性も,かつては,主婦となるための修業として女中となることがあり,とくに良家で女中をすることは女子としての良好な教育を受ける機会にもなっていた。しかし高等女学校が広がると,このような理由で女中になる必要は徐々になくなっていった。

 女中の需要はあるが,供給が大幅に不足し,それは社会問題にもなった。そうしたなか,家事を担当する労働者をあっせんするという形の職業紹介所が現れてきた。こうした労働者は「派出婦」と呼ばれた。

 1921(大正10)年に制定された職業紹介法は,職業紹介は市町村営(後に国営)を原則としていたが,当時の営利職業紹介事業取締規則では,派出婦の民営の職業紹介は認められていた*3。戦後,1947(昭和22)年に職業安定法が制定され,職業紹介は国家独占が原則となり,有料の職業紹介事業は原則禁止となった(1999年改正前の32条1項本文)。ただし,これには例外があって,「美術,音楽,演芸その他特別の技術を必要とする職業に従事する者の職業をあつ旋することを目的とする職業紹介事業について,労働大臣の許可を得て行う場合は,この限りでない」とされていた。

 この「特別の技術を必要とする職業」に,当初は派出婦は含まれていなかった。しかし,派出婦の有料紹介事業は後を絶たなかったため,1951(昭和26)年に,名称も「家政婦」と変更されて,有料職業紹介許可事業に加えられた。看護婦などと並ぶ技術専門職としての位置づけである*4

 経緯はともかく,国によって,技術専門職として認められるような仕事を無給でやっていた母は胸をはってよかったのかもしれない。

 ただ,このように無給でもやれてしまう仕事というのは,どうも社会的評価につながりにくい。ちなみに同じ家事労働でも,家政婦を雇うとGDPにカウントされるが,主婦が無償でやるとGDPにはカウントされない。

 家事労働という無償労働は,ボランティアともちょっと違う。家事は,どこか金をもらってやるような仕事ではないというイメージがある。あえていえば「愛情労働」で,愛だから無償なのだろう。

 大学に進学して故郷を離れ,たまに実家に帰ったときに,手作りの食事,綺麗に片付けられた部屋,ふかふかの布団,清潔なパジャマと下着が用意されると,やっぱり家はいいなという気分になる。そこに,無意識のうちに,母のあふれる愛を感じていたのだ。

女の敵は女?

 そんな愛情労働を金を払って他人にやらせるなんて論外だ,なんてことを言いそうなのが,祖母の世代の女性だった。 

50年前の主婦の井戸端会議

「うちの嫁は,サボってばかりで,息子が可愛そうなのよ」

「あら,そうなの」

「朝ご飯の準備からして,自分でやらないのよ」

「それじゃ,息子さんがやっているの」

「それは無理よ。息子は何もできないもの」

「それじゃ,朝ご飯抜きなの?」

「そうじゃなくて,機械にさせてるの」

「機械って,どんなもの? そんなのあれば,私も使いたいわ」

「炊飯器よ」

「なんだ。そんなの機械というほどじゃないわよ」

「私たちの時代は,『始めちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣くとも蓋取るな』でしょ。苦労してご飯を炊いたものよ」

「別に同じ苦労をさせなくてもいいじゃない。技術の進歩のおかげよ」

  女中がいなくなっていった昭和40年代,家事のあり方もかなり変わった。家政婦を活用しなくても家事が回るようになった。それが家事を助ける機械の登場である。技術の発展が主婦を支えるようになる。テレビ,洗濯機,冷蔵庫は家電の三種の神器と呼ばれ,一般家庭にも普及するようになる。炊飯器も同様である。

 高度経済成長期に入ると,夫の収入は安定して増えていき,家電を次々と買いそろえることは,一つのステータスにもなった。家族の数が減り,家が小さくなると,炊事,洗濯,掃除の負担はそれだけ小さくなる。そのうえに家電がサポートしてくれる。戦後に登場した絨毯の敷かれた洋間の掃除は大変だったが,電気掃除機が大いに助けになった。前述のように私の母も,その恩恵に浴した。

 経済的に豊かになった日本の主婦は,少なくとも経済的な理由で外に働きに出る必要はなくなり,技術の進歩で軽減された家事負担の分は,子の教育や自分の文化的な活動に回すことができた。そのうえで余裕があれば,小遣い稼ぎでパートに出たりもした。

 私が公立の小学校(兵庫県の宝塚市と西宮市)に通っていたのは1970年代(昭和50年前後)であるが,友達のお母さんは専業主婦が圧倒的多数だった。おそらく学校行事なども,専業主婦のサポートを得られることを前提として組み立てられていただろう。

  一方で,家政婦を雇っているような家もほとんどなかった。高度経済成長期以降,中流家庭が増え,主婦は外で働く必要がなくなり,家事に専念でき,家政婦を雇う必要はなかったし,家政婦を雇うほどの余裕のある家庭も少なかったのだろう。

 家政婦を雇うのは,上流家庭だった。市原悦子主演の「家政婦は見た!」は,そんな上流家庭の欺瞞ぶりを暴いたテレビドラマだった。

家事使用人の悲哀

 上流家庭の家事を担当する家政婦というイメージは,実は,戦後直後にもあった。それが,駐留米軍の家庭で働いた日本人メイドである。当時の世界で最も進んだ国の家庭内に直接入り込むことができたメイドたちは,日本との文化的格差にさぞかし驚いたことだろう。

  ある意味では恵まれた状況にあったメイドだが,その労働法上の地位には大きな問題があった。

 日本人メイドは,当初は日本政府に雇用される国家公務員で,その彼女たちに米軍が指揮命令するという間接雇用の関係だった(一種の労働者供給や労働者派遣と呼んでもよいかもしれない)。しかし,1951(昭和26)年に,駐留兵の家庭が個人的に使用するメイドたちについては,その家庭の直接雇用に切り替えられることになった。勤務の実態は従来と同じだったが,法律関係が大きく変わり,公務員から,労基法の適用される契約関係になったのである*5

  ところが,彼女たちには労基法は適用されず、彼女たちの無権利状態が明るみになった。その原因は労基法の規定自体にある。

 1947(昭和22)年に制定された労基法9条は,労働者について,次のように定義をしている。

 「この法律で『労働者』とは,職業の種類を問わず,事業又は事務所……に使用される者で,賃金を支払われる者をいう。」

 そこでいう「事業」は,1998(平成10)年に改正されるまでは,同法8条で定義されていた。

 「この法律は,左の各号の一に該当する事業又は事務所について適用する。但し,同居の親族のみを使用する事業若しくは事務所又は家事使用人については適用しない。」

 そして,列挙されている事業は,①製造・加工,②鉱業,③土木・建築,④運送,⑤貨物取扱,⑥農林,⑦畜産・水産,⑧商業,⑨金融・広告,⑩映画・演劇,⑪郵便・電気通信,⑫教育・研究,⑬保健衛生,⑭接客・娯楽,⑮焼却・清掃,⑯官公署,⑰その他命令で定める事業または事務所となっていた。労基法は,このように,まず適用事業の範囲を定め,そのうえで,その事業に使用されて,賃金を支払われる者に適用されるという仕組みになっていた。

 実際の事業のほとんどは,①から⑰のどれかに含まれるので,適用対象事業を制限するという意味はほとんどなかった。とくに⑰については,労基法施行規則の1条が定めをおいており,その2号は,「派出婦会,速記士会,筆耕者会その他派出の事業」をあげていた。したがって,派出婦会から送り出される派出婦は,労基法の適用対象に入るものだった。その派出婦が家政婦に呼称変更されるのは前述のとおりであるが,いずれにせよ法的には「家事使用人」という概念に括られるものであった。

 ところが,前記労基法8条のただし書は,「この法律は,……家事使用人については適用しない」となっていた。つまり適用事業との関係では,わざわざ適用対象事業に「派出婦会」を含めておきながら,そこで実際に働く派出婦,すなわち家事使用人は適用除外としたのである。

 現在では,労基法8条は削除され,①から⑮は,別表第1として残るにとどまる。そして労基法施行規則1条も削除されている。しかし,労基法8条ただし書は,同法116条2項に場所を変えて生き残っている。

 というように長々と書いてきたが,結論として,家事使用人に対しては,労基法は一貫して適用されてこなかったのである。

 厚生労働省の公式の説明は,「その労働の態様は,各事業における労働とは相当異なったものであり,各事業に使用される場合と同一の労働条件で律するのは適当ではないため」となっている*6。 

  メイドたちは地位向上を目指したが,日本全体において女中が減少していくなか,大きな運動には広がらなかった。家事使用人は,今日でも,労基法は適用されない。もちろん最低賃金法も適用されないし(2条1号),労働安全衛生法も適用されない(2条2号)。市原悦子扮する石崎秋子は,法律上,労働者だが,法的な保護はされないという地位に置かれているのである*7

妻無用論

 そうした家事使用人の無権利状態に問題があるということは,裁判所も意識していた。

  最近のある裁判例*8は,次のように述べている。

 「家事使用人について,労働基準法の適用が除外されている趣旨は,家事一般に携わる家事使用人の労働が一般家庭における私生活と密着して行われるため,その労働条件等について,これを把握して労働基準法による国家的監督・規制に服せしめることが実際上困難であり,その実効性が期し難いこと,また,私生活と密着した労働条件等についての監督・規制等を及ぼすことが,一般家庭における私生活の自由の保障との調和上,好ましくないという配慮があったことに基づくものと解される。しかしながら,家事使用人であっても,本来的には労働者であることからすれば,この適用除外の範囲については,厳格に解するのが相当である。したがって,一般家庭において家事労働に関して稼働する労働者であっても,その従事する作業の種類,性質等を勘案して,その労働条件や指揮命令の関係等を把握することが容易であり,かつ,それが一般家庭における私生活上の自由の保障と必ずしも密接に関係するものでない場合には,当該労働者を労働基準法の適用除外となる家事使用人と認めることはできないものというべきである。」

  この事件は,医療法人の代表者の自宅でベビーシッターをしていた者が,家事使用人ではないとされたものである。これは,家事使用人の概念をかなり限定的に解釈したものであるが,裁判官は,家事使用人の保護の必要性を重視したのかもしれない。2007年に制定された労働契約法が,家事使用人に適用されること(同法22条2項を参照)も,影響した可能性がある。

 しかし,今後は,こうした議論は,それほど盛り上がらないかもしれない。たしかに,家事代行業は,盛んである。外国人を受け入れるという話も出ている。女性の社会進出のなか,成長産業ともいえそうである。しかし,この産業を脅かしそうな存在もある。それがロボットたちである。

 でも,愛情労働をロボットに任せるなんてできるのだろうか。 

「お母様,そろそろ掃除機を買い換えますけど」

「あら,いまあるものが,まだ使えるんじゃないの」

「ご近所では,ロボットが掃除をやるんですよ」

「そんな。掃除くらい,あなた自分でやりなさいよ。ロボットには丁寧な掃除はできないでしょ」

「お母様,そんなことはありませんわ。いまのロボットは優秀なんですよ。ルンバがなければ,娘も小学校のお友達に馬鹿にされてしまいますわ」

「ルンバって何なの。西田佐知子のコーヒールンバだったら知っているけど」

「お母様,何を訳のわからないことをおっしゃってるんですか。ルンバは,ロボット掃除機の商品名ですよ」

「どんなダンスをしてくれるのかしら」

「お母様ったら……。ルンバか,東芝のトルネオロボ,パナソニックのルーロ,シャープのココロボか,どれにしようかいま悩んでいるんです」

「それって全部,ロボットの名前なの。ロボットに頼るなんて,孫の教育にも良くないわね」

「娘が大人になった時代は,もう家事なんて,人間はやっていませんわよ」

「そうなったら,女は何をするの」

「女性は,ついに家事から解放されて,もっと自分らしさの追求をするんです」

 梅棹忠夫は,有名な「妻無用論」で,家事労働が機械などに肩代わりされると,妻の存在理由がなくなると主張していた*9。梅棹は,女性蔑視をしたのではなく,女性が妻の座から解放されるという男女同権という観点からこういう主張をしていたのだ。

ロボットに愛情労働ができるか

  ルンバを開発したiRobot社のRodney Allen Brooksは,Rethink Robotics社を設立し,表情をもった産業用ロボットBaxterを開発した。

これは中小企業の工場に大きな変化をもたらしたと言われている。Baxterは,産業用ロボットを,檻にいれられたロボットというイメージから,人々の間で共働するロボットというイメージに変えた。私たちは,ロボットと一緒に働くということが実感できる時代になった。

 家庭内にも,こうした流れは及びつつある。すでにホームアシスタントロボットは,(1)トレイに乗せた食器の運搬,(2)洗濯機への洗濯物投入,(3)ほうきを使った床掃除ができる。

ホームアシスタントロボットによる掃除後片付けを行う技術 | 社会科学研究 | IRT 東京大学IRT研究機構

将来的には,家事全般が人型ロボットにゆだねられるときが来るだろう。

 それでも,育児や介護は,やっぱり人間じゃないと,と言う人もいるかもしれない。しかし,介護についても,ロボットの活用が広がりつつある。装着型の介護ロボットは,介護労働の負担を軽減させるし,ここでも人型ロボットが老人を抱えて移動させたりできるようになっている。育児に,これを応用しない手はない。

 ロボットに任せて事故でもあったらどうするの,という意見もあろう。しかし,育児や介護を人間にまかせることが,それほど安全とは言い切れない。乳児や幼児,あるいは老人に対する虐待に関する報道は後を絶たない。ロボットなら,人間を虐待したりしない(はずだ)。

 ロボットによる家事の完全制覇の時代が近づいている。高齢化社会の到来は,介護産業を成長産業とするが,その産業を支えるうえで必要とされる労働力は,介護労働を提供する者ではなく,介護ロボットなどの技術を支える者(エンジニアなど)やロボットと人間の共働をうまくオーガナイズするマネージャーたちなのである。

 そういえば,高視聴率をとったドラマ「家政婦のミタ」で松嶋菜々子扮する三田さんは,「ロボットのように無機質な雰囲気を漂わせている」とされ,その家政婦としての能力は,「家事全般における洗練されたスキルと,1秒単位にも及ぶ時間感覚の正確さ,さらに他人の言葉でさえ一字一句間違えず覚える記憶力を備え,あらゆる仕事を完璧にこなす凄腕の家政婦。家事以外にも遊戯・語学・数学・情報収集力などあらゆる技能を備えており,顧客の要望には『家政婦』の域に留まらずあらゆる面で対応できる。業務命令であれば,スキルの及ぶ範囲内なら一般人でも出来る簡単な作業かられっきとした犯罪行為まで,その内容に関係なく『承知しました』の一言で何でもやってしまう。また物をぶつけられても全く動じず,一瞬で違う場所に移動するなど人間離れした能力を持っている」と紹介されている(家政婦のミタ - Wikipedia)。これは,まさにロボットだ。

 ロボットの仕事の精度が高まり,コストが下がっていくと,職場だけでなく,家庭内の家事労働まで,ロボットが代行していくだろう。これにより,家事労働をビジネスにしていた人たちの仕事はなくなっていく。それと同時に,女性(とは限らないが)は,きつい無償労働から解放される。まさに絶望と希望が交錯するのである。

*1:『婦人公論』1918年1月,人気ドラマ 主役は「家政婦」 - 工作老年雑考録

*2:小泉和子編『女中がいた昭和』(河出書房新社,2012年)24頁,28頁→Amazon

*3:戦前の職業紹介制度一般については,神林龍「国営化までの職業紹介制度」を参照→論文データベース詳細情報

*4:ちなみに,こうした職種の限定は,それから後に1997年4月の職業安定法施行規則の改正で,実質的に許可可能事業がネガティブリスト化され,1999年の法改正で,有料職業紹介の事業規制は原則としてなくなった[現在の31条および32条の11を参照]。

*5:前掲・小泉編144頁以下を参照

*6:厚生労働省労働基準局編『平成22年版労働基準法下』(労務行政,2011年)1040頁→Amazon

*7:なお,家政婦が家事使用人として労働基準法などが適用除外されるのは,仕事の内容が家事だからではない。たとえば,家事代行サービス業者に雇用されて,その指揮命令の下に,家事代行業に従事している者は,家事使用人には該当しない。家政婦が家事使用人に該当するのは,家政婦自身が家事サービスを発注している相手方(個々の家庭,法人[社長の身の回りの世話のため]など)との間で直接,労働(雇用)契約を結んでいるからである。

*8:医療法人衣明会事件・東京地判平成25年9月11日・平成22年(ワ)19141号・労判1085号60頁

*9:『女と文明』(中央公論社,1988年)に所収

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